時計の秒針は私が見始めてから、もう十周もした。もう飽きてきたのだが、目の前に居る生際が後退した男性を眺めているよりは良いだろう。何かを伝えようと私達の方を見ているが、誰も理解できていない。男性は尚も語り続ける。秒針がもう数周したときに私は、机の上に置いてある本に視線を移した。名前を聞いただけで行った事もない外国の説明が一面にある。正直に言うと、私はこの国に興味がない。自分は日本で生まれ育ってきたのだから、無理に里から離れなくてもいい。何のために男性は、外国について語っているのだろうか。生きていく上で、絶対的に必要な情報なのだろうか。それは定かではない。(遠くで、談笑する女子の声が聞こえる)

「この国の人口は」

どうでもいい情報を、落書き(それを行ったのは、授業中にもかかわらず会話し続ける女子)のし過ぎで白くなった黒板に書いていく先生。それを追って個々のノートに書き写す生徒。人口、産業の特色、地球全体からの国の位置、都市の位置を確認しながらでの作業。時計の針は先程からずっと動き続けている。

「では、この国について知っていることを言ってください」

私から遠く離れた女子が指名され、「えー」だか「はー」だかよくわからない返事をしてから、答えようと悩む素振りで周りの人に聞いていた。自分で考えてくださいと言われて、小さく何か言う。私の所からは、何を言ったのかが判断できない。聞きたくもないけれど。しばらくの沈黙の後、「わかりません」という時間をかけた割にはあっさりとした返事が聞こえた。先生は「あなたはバスケットボールをやっていますね」と妙に優しい声色。また、しばらくの沈黙。「あっ、NBA?」少し変わった口調に、よろしいという先生の言葉を第三者のように聞いていた。(実際に私は第三者だ)

「じゃあ、西さんは?」
「……」

まさか自分にまでその質問が来るとは思わなかったので、何も考えていなかった私。真っ白になった頭から何かを生み出すのは難しい。脳を駆使して(自分でも何を言っているのかわからない)答えた。「なるほどねという」先生の独り言。「アラスカという場所もありますね」辺りが静まり返った。遠くから聞こえる独り言のような言葉。「アラスカって?」そんな事、私だって知らないよ。

「はい、もう少しでチャイムが鳴りますね。次の授業……理科では、係の人が教材を取りに行って下さい」

2、3人がそれに反応して文句を言った。先生はそれに反応しない。チャイムが鳴るまで、時計を見つめていた。先生は腕についている時計を見ているけれど、私は壁にかけてある時計を見る。カチコチカチコチ、少しずつでも着実に進んでゆく、決して逆には廻らない針。焦点がだんだんずれてきた目。どうしたのだろう、眠りたいのかもしれない、睡眠不足の身体は。「変ですね、時計が狂っているのかもしれません」確かに、授業の終了を告げる音が何時まで経っても鳴らない。どれだけ延長されるのか、私は知らない。徹夜の所為で、時間の感覚が狂っている。(それもこれも全てあの人の所為)

「時間が半端になるかもしれないですが、問題でも出しましょうか。…えー、都市名を答えてください。日本」
「誰でも知ってるだろ」

先生と、一部の生徒が会話している。残りの生徒はついていけない。私は、答える気にもならない。後ろから元気に答えている男子の声が聞こえるから、邪魔をしたら可哀想だという考えを言い訳にして。私は残り時間で、ノートに写しきれていないものが無いかを確かめることにした。記入漏れの箇所を発見してシャープペンシルを手に取り見比べている時に、感じられた視線。私はいつから、これほどまでに自意識過剰になってしまったのか。有り得ない、と書き写し始める。(だって私はこの人たちが好きではないから、仲良くする必要も無いし。長い間ずっと一定の人を見るということは、嫌いか好きかのどちらかに分かれる。好かれていると断言できるほど自惚れていない)何れにせよ、気分が良いことではない。私は、注目を浴びることが嫌いだ。顔も名前も知らない(もしかしたら、ただの思い違い)人間に見られているかもしれないと思うと、勉強に集中しようとしても出来なかった。(酷い日だ…。)チャイムが鳴った。

「あっ、西さん。」前方の女子から発せられた言葉。
「…」何も返すことが出来ない私。
「ねぇ、西さん?」未だ話しかけてくる女子。(しつこい)

その女子は、今まで一緒に歩いていた人に別れを告げて此方に向かって走ってきた。廊下を走ってはいけない、それは一般常識。けれど走ってくる女子。目の前に来た。「あのね、」と言ったくせに、その続きが聞こえない。作り笑いをしながら、耳に髪をかけていた。鬱陶しいなら切れば良いのに。(私は自分の、腰まである髪を鬱陶しいと思ったことはない。)ついに、その女子が続きを話した。

「あのね、あたし、西さんと友達になろうと思って!」

それだけ言うと、「言い切った」という爽やかな様子で私の顔を窺っていた。返事を待っているようだけれど、廊下の中央で急に大声でそんな告白をされても、私は何も答えられない。周りの生徒の視線が集中する。これほどまでに無い位に痛い。尤も、今時「友達になろう」だなんて台詞を吐いたこの女子が一番、痛々しい。目が合って、それに微笑み返す「痛々しい」女子。しばらくの沈黙。

「あっ、知らない人に話しかけられても、困るよね。ごめんね。…えっと、あたし、南。同じクラスなんだけど…覚えてないかな? あのね、えっと…そう、あたし、西さんの席の列の一番後ろでね。いつもプリントとか集めてるんだけど…やっぱり、覚えてないかな?」

そういえばこの女子は、プリントを回収するときに必ず「持っていって良い?」と聞いてから提出しに行く、あの女子に似ていると思った。私は、周りに居る人間の名前など気にしていなかった。最近の女子は性格が悪い人ばかりなので、尚更。初めて、女子に好意を持たれた気がする。今までに経験したことのない感覚に、頭での判断が苦しくなる。自分は今、どんな顔をしているのだろうか。どうでもいい事ばかりが頭の中で回る。そうだ、何か言わなければ。何も浮かばない。気の利いた言葉が言えたら良いのに。

「あっ、やっぱり困るよね。いいよ、返事を待っているんじゃなくて、伝えたかっただけだから。本当に…あの、ごめんね?」

やはり、何も言えない私。だって、何を言っても不自然じゃないの、この状況は。「良いですね、友達になりましょう」「貴女の事は何も知らないから、何とも言えないわ」「取り合えず此処は野次馬が多いので、移動しましょう」…何かがおかしいじゃないの! 自分が感じているよりも遅く進んでいる時計。早く、チャイムが鳴れば良いのに。第一、何故、私は廊下に出てしまったのだろう。カチリ、カチリ、スローモーションのように進む時計。早くチャイムよ、鳴れ!

時計とは、思う通りには進まないものだ。(戻ってしまえ)

最初に伝えたいと思ったことを上手に埋め込みきれなかったのは、他でもない自分の責任です。しかし大きくは変えない。前に何を書こうとしたのか、わたしの頭に残っていないだけですが。

南の設定は書いている途中に脳内で変更したので微妙。可愛い子だと思います。(夜崎さんの絵を見る限りでは。/ありがとうございました、御馳走様)

(二年生のころ授業中に突然「アメリカといえば?」と言われて咄嗟にコンラートさん(マの人)の台詞しか浮かばなかったのでアラスカと西に言わせています。わたしは何も言えませんでした。)

060513改変